思い出す。
思い出す、渋谷を。道玄坂。繁華街。アニバーサリーというセクキャバ。利ちゃんという居酒屋。渋谷パチンコタイガー。柳小路。エスパス日拓。大番。離れるべきではなかった仲間たち。ビッグパワフル。時とともに薄れていく記憶を、ひとつずつ手繰り寄せる。
下馬のことも思い出してみる。近所のファミリーマート。店先に置かれた狸の置物。遠くに見えるキャロットタワー。駅へ向かう途中にあった、ご夫婦で営んでいた喫茶店。あの店はいまも続いているのだろうか。栄通りの松屋。パーラー白鳥。近所のサンクス。どうにも態度の悪かった、ヤンキー風の小柄な女性店員のことまで思い出す。
満員電車に揺られる日々。デジャブでのこと。マーキュリーでのこと。酒に酔い、自暴自棄になって暮らしていた頃のこと。
けれど、不思議なものだ。鮮明に残っているものほど断片的で、本当に大事だったはずの時間ほど、もううまく思い出せない。
その時の思いを記録してでもいないと、どうにも思い出せない。だから日記は必要なのだ。とはいえ、退屈な日々が続けば、そんな記録を残す気力も湧かなかったのだろう。あるいは、ただ忙しすぎたのかもしれない。
恋をするたび、しばらくは日記をつけていた。けれど、もっと古い時代になると、そういう記録も残っていない。90年代。大分出身の女性と一緒にいた頃。短い時間だったが、あれはたしかに幸せな時間だった。刺激的だった可奈子(仮名)のことも思い出す。
もし、あの頃の俺がもう少し歳を重ねていて、もっと物分かりがよくて、もっと賢く、もっと真面目に人生へ向き合えていたなら、あるいは、うまくやれていたのかもしれない。
だが、いまさらそんなことを考えても仕方がない。もうずいぶん昔の話だ。
それでも人は、ときおり不意に過去を振り返ってしまう。あのとき、こうしていればよかった。そんなことを考えてしまう。そして、それはきっと、いまの人生がうまくいっていないという一つの兆候なのだ。
ひとつひとつ、断片的にでも思い出して書き留めておこう。
思い出された記憶は、現在の脳によって再構成されたものだ。だから、おそらく事実そのものとは少し違っている
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